愉快な仲間の名(迷?)言や、日常を投稿していこうと思います。
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行雲流水とはよく言ったもので、
人間、生きていくには、別れというものがつきものです。
知り合いの方の好きだった言葉に、次のような言葉があります。
「一粒の砂に、世界を見、一輪の野の花に、天国を見る。
手のひらに無限をのせ、ひと時のうちに永遠を感じる」
ウイリアム・ブレイクというイギリスの詩人の言った言葉だそうです。
きれいな詩だと思います。
その人は、何を考えていたのでしょうか。
その人には、何が見えていたのでしょうか。
人は、同じものを見ても、捉え方は人それぞれです。
そこには、その「物」の1面しか見ていないということも上げられるでしょう。
それがどうしたというわけではありませんが、
自分は、同じ一粒の砂を見ても世界は見えませんし、野の花を見ても天国も見えません。
自分が見ている世界が狭すぎるのか、その人の見ている世界が広いのか・・・。
では、その人の考えに1歩でも近づくために、上記の詩の解釈をしてみましょうか。
『一粒の砂』とは、一般的な意見としては塵、つまり無用のものでしかありません。
同じく、『野の花』は、ふとしなければ気づきすらしないものです。
なぜそれが、『世界』であり、『天国』であるのか。
ここでひとつ考えておきたいことは、
「人は、前に進む生活の中で、大切なものが見えなくなっている」ということについてです。
例えば、今日、友人と遊んだこと、友人たちとご飯を食べたこと。
もっと言えば、ちゃんと朝起きるとご飯が食べられること。
そんな『当たり前のこと』こそが真に大切であると、いうことは、常々自分が考えていることではあるのですが、
なかなか大切なことを大切にすることができません・・・。
そして、
「世界が平和であるために私たちができる最低限のことは、私たちが笑顔であること」
というような言葉に代表されるように、
物事も真意とは、実は
「見えなくなっているあなたの隣」にあるのかもしれませんね。
拡大解釈かもしれませんが、上記の詩にも通じるところがあるのではないでしょうか。
だからこそ、『砂』が『世界』であり、『花』が『天国』なのです。
では、『手のひら』の上に『無限』があり、『ひと時』に『永遠』を感じるとは、どういうことなのでしょうか。
こちらについては、深く言及するのは止めておきましょう。
もし、この記事を読んでいる方がいたら、あなた自身の答えを見つけてみて欲しいと思います。
ちなみに私は、手のひらに『のせる』であり、永遠を『感じる』のがポイントなのではないかと思います。
また機会があったら記事を書くことにします。
今回はあまり愉快な話でなくてすみませんでしたm(_ _)m
「日常」フォルダは、こんな感じの話が増えていくと思いますが、どうぞお付き合いください。
では。
あなたが、大切なことを大切に出来ますように。
人間、生きていくには、別れというものがつきものです。
知り合いの方の好きだった言葉に、次のような言葉があります。
「一粒の砂に、世界を見、一輪の野の花に、天国を見る。
手のひらに無限をのせ、ひと時のうちに永遠を感じる」
ウイリアム・ブレイクというイギリスの詩人の言った言葉だそうです。
きれいな詩だと思います。
その人は、何を考えていたのでしょうか。
その人には、何が見えていたのでしょうか。
人は、同じものを見ても、捉え方は人それぞれです。
そこには、その「物」の1面しか見ていないということも上げられるでしょう。
それがどうしたというわけではありませんが、
自分は、同じ一粒の砂を見ても世界は見えませんし、野の花を見ても天国も見えません。
自分が見ている世界が狭すぎるのか、その人の見ている世界が広いのか・・・。
では、その人の考えに1歩でも近づくために、上記の詩の解釈をしてみましょうか。
『一粒の砂』とは、一般的な意見としては塵、つまり無用のものでしかありません。
同じく、『野の花』は、ふとしなければ気づきすらしないものです。
なぜそれが、『世界』であり、『天国』であるのか。
ここでひとつ考えておきたいことは、
「人は、前に進む生活の中で、大切なものが見えなくなっている」ということについてです。
例えば、今日、友人と遊んだこと、友人たちとご飯を食べたこと。
もっと言えば、ちゃんと朝起きるとご飯が食べられること。
そんな『当たり前のこと』こそが真に大切であると、いうことは、常々自分が考えていることではあるのですが、
なかなか大切なことを大切にすることができません・・・。
そして、
「世界が平和であるために私たちができる最低限のことは、私たちが笑顔であること」
というような言葉に代表されるように、
物事も真意とは、実は
「見えなくなっているあなたの隣」にあるのかもしれませんね。
拡大解釈かもしれませんが、上記の詩にも通じるところがあるのではないでしょうか。
だからこそ、『砂』が『世界』であり、『花』が『天国』なのです。
では、『手のひら』の上に『無限』があり、『ひと時』に『永遠』を感じるとは、どういうことなのでしょうか。
こちらについては、深く言及するのは止めておきましょう。
もし、この記事を読んでいる方がいたら、あなた自身の答えを見つけてみて欲しいと思います。
ちなみに私は、手のひらに『のせる』であり、永遠を『感じる』のがポイントなのではないかと思います。
また機会があったら記事を書くことにします。
今回はあまり愉快な話でなくてすみませんでしたm(_ _)m
「日常」フォルダは、こんな感じの話が増えていくと思いますが、どうぞお付き合いください。
では。
あなたが、大切なことを大切に出来ますように。
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プロフィール
HN:
リソルート
性別:
男性
自己紹介:
一介の大学生。
というか、吟遊詩人。
一貫した記事の傾向はなく、多岐にわたります。
多いのは、真面目な内容とバカな日常です。
最近は更新が滞っていますが、生きてます。
コメント・拍手ありますと、主が喜びます。
リンク希望などあれば、コメントからお気軽にどぞ。
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一貫した記事の傾向はなく、多岐にわたります。
多いのは、真面目な内容とバカな日常です。
最近は更新が滞っていますが、生きてます。
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